【徹底解説】Goってどんな人?【アメリカテニス留学】

はじめまして、Goです。

「【徹底解説】Goってどんな人?【アメリカテニス留学】」について紹介していきます。

時系列をざっくり書きます。

1、21歳の時にアメリカにテニス留学し、1年間、毎日、7時間練習に励む

2、23歳~24歳の2年間、アメリカでテニスコーチをする

3、25歳~27歳の2年間、日本でテニスコーチをする

4、27歳でテニスコーチを辞めて、再びアメリカに戻り、飲食店で働く(←現在)

この4つを詳しく書いていきます。

1、21歳の時にアメリカにテニス留学し、1年間、毎日、7時間練習に励む

僕は、21歳の時にアメリカにテニス留学しました。

この理由は凄く単純で、「世界一のテニスプレーヤーになりたい!」という夢を抱き、その夢を叶える手段として、日本で練習するより、本場のアメリカで練習したほうが夢に近づくと思ったからです。

こう言うと、「元々テニスが強かったのか!凄いなぁ!」とか「うわっ、カッコいいな!」とか思われるかもしれませんが、全くそんなことはありません。

むしろ、テニスは全く強くなく、10代の時に何か大きな戦績を残した経歴も無ければ、テニスコーチに教えてもらった事すらほとんどない状態でした。

そんな人間が、20歳を超えて、無謀な夢を抱き、渡米するなんて馬鹿げていますよね?

正しく、その通りです。

では、なぜ、当時の僕はそこまでして大きな行動が取れたのか?

当時の僕は若さゆえ、怖いものや失うものが一切なく、有り難いことに、親がサポートしてくれて、「自分の夢をとにかく叶えたい!」という気持ちが強く、ガムシャラに行動に移せたからです。

振り返れば、「よくそんな大胆な行動が取れたなぁ・・・」と思いますが、その行動を起こしたことで、大きく自分の人生が変わり、真剣にテニスの事だけに没頭でき、尊敬するテニスコーチに出逢うことができました。

1年間、毎日、7時間、テニスコートに立ち、苦しい練習に耐え、1年でかなり強くなったものの、現実は甘くなく・・・。

親からのサポートは1年だけと言われていて、「今後、もし夢を追いかけるなら、自分で稼いでやっていって!」と言われていたので、最後の方は夢を断念せざるを得ない状況でした。

仕方ない事でしたが、それ以上に納得感や達成感は凄くあって、しっかり落とし込むことができ、いじけることなく「次に進もう!」という前向きな気持ちが湧き起こってきて、1年を終えました。

2、23歳~24歳の2年間、アメリカでテニスコーチをする

1年のアメリカでのテニス留学を終え、日本で仕事を見つけようと思った時、お世話になったテニスコーチから「アメリカで、テニスコーチをしないか?」というお誘いを受け、アメリカでテニスコーチをすることになりました。

テニスは強くなったものの、テニスを教えられるほどの自信は一切無く、右も左も分からず、不安が一杯の中、スタートしました。

最初はそのテニスコーチのアシスタントコーチとして仕事が始まりました。

何から始めていいか分からず、怒られながらも、ひたすら一生懸命、選手の事を考えていました。

「どうやったら、この選手を良い方向に導けるのか?」と夜中の3時までずっと考えていたこともあります。

それでいて、睡眠が全然とれず、テニスコート上で立ちながら寝ていたこともざらに・・・。

そうやって日々生きていたら、少しずつ選手から信頼されるようになり、自分より強い選手が僕の声に耳を傾けてくれるようにもなり、そういう積み重ねが自信を与えてくれ、テニスコーチらしくなっていきました。

この環境に2年、身を置き、確実に人間としても、テニスコーチとしても成長し、自信がつきました。

3、25歳~27歳の2年間、日本でテニスコーチをする

25歳~27歳の2年間は、日本でテニスコーチをしました。

日本で仕事をしたことがほぼ無くて、「果たして自分に務まるのか?」という不安がある中、スタートしました。

アメリカでは10代の選手たちを見ていた一方、日本ではその年代の子達に加え、自分よりも年上の方々(30代~60代)のクラスを受け持つことになったので、「こんな若い自分で大丈夫なのか?」と日々凄く悩んでいました。

でも、やっていかなければいけない状態だったので、とにかく一生懸命、愚直に取り組んでいました。

「アメリカ帰りのテニスコーチ!」という代名詞で生徒さん方に認知してもらい、恥ずかしかったですが、それで沢山の方々に覚えていただきました。

そんな中で、自分でイベントを組んで、沢山の生徒さん方とテニスを通じて触れ合う機会を沢山設けて、少しずつ信頼を寄せていだたけるようになりました。

その中で一番嬉しかった出来事は、僕が住んでいる区域のテニス大会に出た時に、予想を遥かに上回る多くの生徒さん方が応援に駆け付けに来てくださったことです。

僕の試合を見て「Goコーチの試合を見て、元気をもらったよ!勇気が湧いたよ!感動したよ!」というような声を沢山頂きました。

今までの人生において、テニスの試合を見に来てくれたのは親ぐらいだったので、生徒さん方が休日を削って足を運んできて下さったことに、驚きと嬉しさの両方がありました。

さらには、僕のテニスの試合を見て、感動して涙をして下さった方もいました。

「僕のテニスでそうやって人を感動させられるんだ!本当にここまで一生懸命、テニスに没頭してきて良かった!」と今までの努力が報われた気がしました。

そして、自分のテニスにより一層自信を持ち、まだまだ伸びしろを感じるほどでした。

そうやって、どんどん生徒さん方との心の距離が近づき、おかげさまで、最高の2年間を過ごさせていただきました。

日本で出逢った1人1人の方々には、心から感謝の気持ちで一杯です。

4、27歳でテニスコーチを辞めて、再びアメリカに戻り、飲食店で働く(←現在)

2年、アメリカ、2年、日本、計4年間、テニスコーチという仕事に携わってきて、少しずつ自信がつき始めていた時に、新たなチャンスが舞い込んできました。

アメリカでお世話になったテニスコーチがセミリタイアし、飲食店を開き、「うちの飲食店で働かないか?」とお声を掛けていただいたのです。

僕はテニスが大好きで、それ以外の仕事は考えられない中、飲食は料理もまともに作ったことがないのに、最初は「う~ん・・・」と悩んでいました。

ただ「アメリカにまた戻りたい!」という気持ちは半年ほど前からありました。

アメリカでの生活、日本での生活を体感してみて、自分的に合うのは、直感的にアメリカだと思ったからです。

もちろん、アメリカも日本も、どちらも良さがあります。

そこで、僕がアメリカを好む理由とは?

アメリカは自然が多く、広大で、空が広く、心が透き通る感覚が好きなんです。

また、周りを一切気にせず生活でき、周りの影響を受けづらく、自分にもっと集中できる環境だからです。

僕にとって嬉しい出来事は、少しでも成長を感じられることです。

それをより体感できるのは、アメリカだと思いました。

それでも、「えっ、テニスコーチから飲食店に急に方向転換!?どうして??」と思う方がほとんどでしょう。

どうやって、気持ちを切り替えられたのか?

決して、飲食店にサラッと方向転換したわけではありません。

僕を誘ってくださった方から経営の仕方を学べるチャンスだなと思ったからです。

飲食店で働く不安はめちゃくちゃありましたが、「アメリカで生きていきたいという気持ち、そして、新たな挑戦も楽しそうだな!」という直感で、アメリカ行きを選びました。

そして、今はアメリカにて、飲食店で日々試行錯誤しながら奮闘しています。

以上が、「【徹底解説】Goってどんな人?【アメリカテニス留学】」でした。

P.S.

こうやって振り返ると、人生何が起こるか分かりません。

このブログを通じて、

アメリカで1年、テニス選手として、2年テニスコーチをした経験、

そして、日本で2年テニスコーチをした経験を元に、テニスの技術・メンタル・戦術を紹介していきます。

そして、今現在、アメリカで生活しているので、アメリカライフについても経験したことを発信していきます。

少しでも皆さんに良い情報を提供できるように執筆していくので、よろしくお願いします。

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