【「今」という瞬間を本気で生きることが生き甲斐】

 

おはようございます!

 

今日は計2時間ほど仕事で生徒をテスト会場に連れて行かないといけなかったのですが、それ以外はオフの時間を過ごしていました。

 

実は昨日、深夜2時ぐらいまで全く寝付けなくて、今日はストレスを感じていました。周りの人から「休んだほうが良い」と言われて、「あぁ、俺休まないといけない」と思い、昨日途中で仮眠を取ったせいで寝れなかったのか、はたまた違った事を考えていてそれが頭をグルグル巡っていて寝れなかったのか、原因は分かりませんが、とにかく何か自分の中で違和感があるな、と思ったのです。

 

そこで、気付いたのは「休もう、休もう」と意識しすぎた余り、逆にそれが空回りして休めなくてストレスに感じていたと思ったのです。

 

僕が渡米して1年間アメリカでトレーニングしていた時に師匠から言われたことを思い出しました。

 

お前は、休む理由をすぐ考える。馬鹿じゃねーの。下手くそ。根性なし。

 

このように言われたのです。僕はここでハッとなったのです。「うわ、なにやってんだ、俺。何の為にアメリカに来たんだ!世界一になる為に来たんやろ!うぬぼれてるんじゃねーよ、俺!バカ野郎!」と自分に喝を入れました。

 

もう少し、この事について説明したいと思います。

 

例えば、ある1人のテニス選手が「もうこれ以上練習をすると足を攣るから」と危惧して、これ以上練習するのをやめるとします。多くの方々は、この状況を見て腑に落ちてしまうと思います。そして、この子は「自己管理を徹底しているな」と思う人もいるか、と思います。それは、師匠からしたら甘えなのです。休む言い訳でしかないのです。

 

そんなことは足を攣ってから考えればいい事であり、足を攣ってないのにそんな起こるか分からない未来を想像したところで無駄だということを師匠は伝えたかったのです。

 

僕は、今になって物凄くこのことについて深く理解しています。結局、僕を含め、ほとんどの人は、気付いたら起こってもない出来事に対して過度の心配をして、自分に限界を作ってしまいます。でも、それはそれで自己防衛として大切なことかもしれませんが、それが行き過ぎると、気付いたらただ自分を甘やかせたいだけの言い訳となってしまうのです。

 

これが一番恐ろしいことだと僕は思っています。僕がそうした場合、必ず後悔が生じるのです。「あの時、もう少しできたのではないか…?」自分を責めるのです。

 

なぜ人間は後悔が生じてしまうのか?

 

それは、本気を出し切れていなかったと感じるからです。「もう少し自分ができたのではないか?」と自分を責めて自分の甘さに気付いたとき初めて後悔が生じるのです。でも、人間というのはその現実に目を向けたくないので、「もう少し頑張ればもっとできた」という可能性を残したいがために、わざと本気を出さない人も沢山いると思います。渡米前の僕はそうでした。本気を出した結果が想像以上に低かったら、ショックを受けてしまうので、傷つかないように程々にやっていました。でも、そうやってやっていくと、前に進むスピードは明らかに遅くなってしまいます自分の限界値を曖昧にしてしまうので、いつまで経っても自分の可能性の中で生きることになるからです。

 

僕は、そんな生き方は絶対したくないのです。毎日必死にもがき続けて、一生懸命に生きて、何なら倒れるぐらいまで追い込んでいきたいと思っています。それでも、気付いたら自分で限界値を作ってしまうので、そうやって強く思うことが大切なのです。

 

そうやって毎日必死に生きていくと、迷いが本当に無くなります。どんな結果が出ようと、「自分が出し切ってのこの結果なら仕方がない。」というように良い意味で割り切ることができてまた前に進んでいけるのです。

 

例え、それで頑張りすぎて倒れて、周りの人から「だから、休めと言ったじゃない!」と言われても自分の中で納得ができるのです。「俺は倒れるまで一生懸命に生きていたんだ!」と胸を張れるので、また自分のキャパシティーが広がっていくのです。

 

僕は、「倒れる前に休め」というアドバイスより「倒れてから考えろ」というアドバイスの方がしっくりきます。要は、「それだけ真剣に生きろ!」ということだからです。

 

人間は、どこかで自分に妥協してしまう生き物です。僕も疲れが出てくると、「休みたい…」という弱い気持ちが出てきます。それはどんなに優秀な方でも当たり前のことです。でも、そういう弱い気持ちと向き合うことで、人間は成長できるのです。

 

僕は、そうやってアメリカ生活を送ってきました。どん底まで落ちてから考えるようにしていました。どん底に落ちると、よりもっと真剣に考えるようになるので、その時を絶対忘れることは無いですし、ずーっと心に留まります。それがこれから先の人生を支えてくれるのです。

 

僕は、アメリカ生活を通して、沢山のどん底を味わってきて、その都度その都度、弱い自分と向き合わざるを得なくて、変わり続けてきました。めちゃくちゃしんどかったですが、それだけ真剣に1日1日を生きていたので、自分の中で全くの後悔が無く、常に前を見据えて生きていけたのです。

 

自分の可能性を残すのではなく、本気で生きることで自分の可能性を潰していき、もっともっと前へ進んでいくのです。本気で生きずに可能性を残すような人生は、自分を守ることになりますが、決して物事に対する深い理解力は手に入れることができません。

 

人生一度きりなので、僕は何歳になっても本気で日々を生きることを徹底していきたいと強く思いました。

 

今日は、朝からストレスを物凄く感じていて何か違和感を感じていたのは、本来の自分を見失いかけていたからです。本来の自分は、とことん真っ直ぐ自分の決めた道を突き進みます。誰に何と言われようと、自分の信念を曲げることはありません。

 

その中で、周りの声に耳を傾けて、少し自分が自分らしくなくなっていたと感じたので、違和感を感じました。

 

例え周りからどんな声があっても、自分の心に耳を傾けて自分に正直に真っ直ぐ生きていきたいと思います。それがどんな結果を招いたとしても、自分で決めた事なら全てを受け止められる覚悟を持っているからです。もし、誰かの意見を聞き、それに従って行動してみて、腑に落ちない結果だったら、必ず僕はその誰かを責めてしまいます。でも、人のせいにすることも嫌なので、自分を責めてしまうのです。それこそ、よりストレスになるので、これから先はもちろん人の話は聞きますが、最終的に自分で判断を下して、自分の決断に一つの迷いもない状態で突き進んでいきたいと思います。

 

その先の人生は、誰にも想像できないですし、僕はその人生が物凄くワクワクドキドキします。僕は、先に何が待っているのか分からない冒険のような人生が最もワクワクします。その先にどんな景色が待っているのだろうか、どんな成長した自分が待っているのだろうか、どんな出会いが待っているのだろうか、想像できないからこそ、人生とは楽しいのです。

 

何か行動に移す前から、先の事が想像できる人生なんて全くもって楽しくないです。そんな人生は僕は単純に嫌です。

 

1日1日を死に物狂いで生きていった先の答えは、予測する必要はありません。そんなことより、「今」という瞬間を本気で生きることが生き甲斐なのです。

 

僕はそう信じて、「今」を真剣に生きていきます!

 

そして、「世界を1人旅する!」という夢を必ずや実現します!その先の人生は、想像なんてしなくていいのです。必死に生きていった先に、胸に手をあてて自分の素直な心に従っていけばいいだけなのです。それが人間あるべき姿なのではないか、そう感じました。

 

今日は、この辺で終わります!

 

読んでくださってありがとうございました。また引き続き、頑張ります!

 

By Go

 

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